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フェルメール《青衣の女》。青い上着の女性が、壁に大きな地図の掛かった部屋で手紙を読んでいる

なぜフェルメールのような絵が生まれた?|17世紀オランダの美術市場と暮らし

静かな部屋の外には、17世紀オランダの大きな社会があった

台所の窓辺で、女性が静かに牛乳を注いでいます。別の絵では、青い上着の女性が立ったまま手紙に目を落としています。また別の絵では、学者らしい男性が器具を手に、窓の外へ視線を向けています。

フェルメール《牛乳を注ぐ女》《青衣の女》《地理学者》。台所で牛乳を注ぐ女性、地図の掛かった部屋で手紙を読む女性、地球儀のある部屋で窓の外を見る男性
左から《牛乳を注ぐ女》《青衣の女》《地理学者》ヨハネス・フェルメール/画像出典:Wikimedia Commons/Public Domain

フェルメールの絵は、外の世界から切り離された、静かな部屋の一場面のように見えます。けれども、描かれている物に目を向けると、少し印象が変わってきます。台所の道具、手紙、壁の地図、楽器、真珠の装身具、地球儀や書物。いずれも、17世紀オランダの人々が実際に作り、売り買いし、使っていた物です。

とはいえ、これらの絵は、当時の暮らしをそのまま写した記録ではありません。科学調査からは、フェルメールが一度描いた物をあとから消していたことが分かっています。また、作品を見比べると、似た家具や小道具が複数の絵にくり返し登場します。

フェルメールが生きた時代には、どんな社会が広がっていたのでしょうか。そしてフェルメールは、そこから何を選び、どんな絵にしたのでしょうか。この記事では、17世紀オランダの時代背景をたどりながら、この二つの問いを考えていきます。

「黄金時代」と呼ばれる17世紀オランダ|繁栄だけではなかった時代

フェルメール《デルフトの眺望》。手前の水面、中ほどに並ぶ城門と町並み、上に大きく広がる雲の多い空
ヨハネス・フェルメール《デルフトの眺望》1660〜61年頃、油彩・カンヴァス、マウリッツハイス美術館(デン・ハーグ)所蔵
画像出典:Wikimedia Commons(原画像:マウリッツハイス美術館)/Public Domain

ヨハネス・フェルメールは1632年10月、デルフトの新教会で洗礼を受けました。このころのオランダは、まだ独立した国として認められていませんでした。スペイン王の支配に背き、戦いを続けている最中だったのです。のちに「八十年戦争」と呼ばれる、長い戦争です。

この戦争が終わったのは1648年、フェルメールが15歳のときです。ミュンスター条約が結ばれ、「ネーデルラント連邦共和国」(オランダ共和国)の独立が国際的に認められました。

新しい共和国では海運と商業が大きく発展し、出版や科学、絵画も花開きました。そのため、この時代はよく「オランダ黄金時代」と呼ばれます。

ただ、「黄金」という言葉が映すのは、社会の一面にすぎません。戦争はたびたび起こり、都市では貧富の差が大きく開いていました。共和国は海外で植民地を支配し、奴隷の売買にもかかわっていました。

「黄金時代」は、美術史では今もよく使われる言葉です。けれども、アムステルダム博物館は2019年、17世紀全体の呼び名としてはこの言葉を使わない方針を打ち出しました。こうした影の部分が見えにくくなる、というのがその理由です。

フェルメールが暮らしたデルフトの人口は、2万から2万数千人ほどでした。アムステルダムのような大都市に比べれば小さいものの、かつてはビールの醸造や織物で栄え、17世紀には陶器産業も発展しました。アジアとの貿易を担ったオランダ東インド会社の拠点も置かれていました。画家や職人、商人、役人が、仕事や暮らしのなかで互いに顔を合わせやすい大きさの町だったのです。

フェルメールの洗礼(1632年)、共和国の独立が認められた年(1648年、15歳)、災厄の年(1672年)、フェルメールの死(1675年、43歳)を並べた年表

なぜ市民の暮らしが絵になった?|大規模な美術市場と風俗画

17世紀のオランダでは、絵を買う人の幅が大きく広がりました。それまでヨーロッパで大きな絵を注文してきたのは、主に教会や宮廷でした。一方、オランダの都市では、商人や職人などの市民が絵を買い、家の壁に掛けるようになります。その多くは注文を受けて描いたものではなく、画家が前もって描いておいた、持ち運べる大きさの絵でした。絵は画家の工房や画商の店、競売を通じて売り買いされました。

17世紀オランダで、絵が画家から画商や工房、競売を通じて町の買い手へ渡り、家の壁に掛けられるまでの流れを示した図。以前の主な注文主だった教会や宮廷も添えている

市場は大きく、競争も激しいものでした。10ギルダーに満たない安い絵が数多く出回る一方で、ずっと高い値のつく絵もありました。画家たちは風景画や静物画、日常の暮らしを描いた「風俗画」など、それぞれに得意な分野を持っていました。そして似た題材を、互いに少しずつ変えながら描いていました。

「宗教改革で宗教画が禁じられたから、日常の絵が生まれた」という説明を聞くことがあります。たしかに、プロテスタントの改革派教会が公の教会になってから、教会を飾る絵の注文は大きく減りました。しかし、聖書や神話の絵は17世紀を通じて売られ続けました。フェルメール自身も、出発点は《マリアとマルタの家のキリスト》のような、聖書や神話を描いた大きな絵でした。

フェルメールが室内の風俗画に重心を移すのは、1650年代の後半です。そのころデルフトでは、室内や中庭の情景を得意としたピーテル・デ・ホーホが活動していました。フェルメールは1658年ごろにデ・ホーホの室内画を知り、画面の奥の一点に向かって線が集まるように描く遠近法を取り入れたと考えられています。

フェルメール《牛乳を注ぐ女》、デ・ホーホ《リネン戸棚のそばの女たち》、テル・ボルフ《手紙を書く女》。台所で牛乳を注ぐ女性、戸棚にリネンをしまう二人の女性、机で手紙を書く女性。いずれも17世紀オランダの家の中を描いた絵 (左をフェルメール《手紙を書く女》に替える場合は、冒頭を「フェルメール《手紙を書く女》」に、「台所で牛乳を注ぐ女性」を「机で手紙を書きながらこちらを見る女性」にしてください)
左から《牛乳を注ぐ女》ヨハネス・フェルメール、1660年頃、アムステルダム国立美術館
《リネン戸棚のそばの女たち》ピーテル・デ・ホーホ、1663年、アムステルダム国立美術館
《手紙を書く女》ヘラルト・テル・ボルフ、1655年頃、マウリッツハイス美術館
画像出典:Wikimedia Commons/Public Domain

室内画へ向かった理由を、本人は書き残していません。風俗画の人気の高まり、身近な画家たちの試み、そしてフェルメール自身の好みや判断。いくつもの条件が重なっていたと考えられます。

大きな市場の中で、フェルメールは少し変わった位置にいました。同じ時代の画家の多くが数百点の作品を残したのに対し、フェルメールの作品として知られているのは三十数点です。しかも1696年の競売には、デルフトのある収集家一家に伝わったフェルメールの絵が、21点もまとめて出品されました。

>>21点ものフェルメールは、どこから来たのか。作品を買い集めたデルフトの夫妻と、2025年の新研究で見えてきた妻の役割を読む

家庭という舞台|フェルメールの室内は「現実そのまま」ではない

家の中の暮らしは、この時代の風俗画の大切な題材でした。台所で働く女性、身じたくをする女性、楽器を奏でる人、手紙を読む人。デ・ホーホのほか、ハブリエル・メツーらも、整えられた家庭の情景をくり返し描いています。

こうした絵を見ると、「オランダの人々は特別にきれい好きだった」「女性はみな家にこもっていた」と考えたくなるかもしれません。しかし、絵は暮らしの統計ではありません。そこには理想の姿や、見る人を楽しませる物語、画家の演出も入りこんでいます。

絵と実際の暮らしを比べる手がかりの一つが、フェルメールの死後、1676年に作られた家財目録です。椅子やテーブル、カーテン、絵、衣服などが記され、絵の中の家具や上着に似た品もあります。ただし、一家は妻の母マリア・ティンスと同じ家に住んでいて、目録には妻とその母が共有していた家財も含まれています。目録に似た品があっても、描かれた物がすべてフェルメールの持ち物だったとは言えないのです。

ヨハネス・フェルメール《牛乳を注ぐ女》1660年頃、油彩・カンヴァス、アムステルダム国立美術館所蔵
画像出典:Wikimedia Commons(原画像:Google Arts & Culture)/Public Domain

この目録には、水差しを掛ける棚や、赤ん坊を温めたりおむつを乾かしたりする火籠も記されています。2022年に発表された調査で、《牛乳を注ぐ女》にも、はじめはこの二つが描かれていたことが分かりました。女性の後ろの白い壁に水差しの棚が、右下の床に火籠があったのです。フェルメールは、そのどちらも塗りつぶしています。

消した理由を、フェルメールは語っていません。確かなのは、暮らしの一場面に見えるこの絵が、描く途中で選び、減らしながらつくられたということです。

>>消された棚と火籠のほかにも、あとから開かれた扉や、向きを変えた羽根ペンがある。科学調査が見つけた、フェルメールの描き直しの跡をたどる

手紙・地図・音楽|外の世界は静かな部屋へ入ってきた

フェルメールの絵には、手紙を読む、書く、受け取る場面がくり返し登場します。手紙がはっきり主題になっている作品は6点あります。

当時のオランダで、手紙は恋人どうしだけのものではありませんでした。ライデン大学の研究者たちは、イギリスに拿捕された船に残っていたオランダ語の私的な手紙、およそ1万5千通を調べました。そこには家族の心配ごとや航海の知らせ、商売の話、夫婦や恋人のやりとりまで、さまざまな内容が書かれています。

一方、絵の世界では、手紙は恋の物語を運ぶ小道具としても好まれ、ヘラルト・テル・ボルフやハブリエル・メツーも、手紙を手にする女性を何度も描いています。

フェルメール《青衣の女》。青い上着の女性が、壁に大きな地図の掛かった部屋で手紙を読んでいる
ヨハネス・フェルメール《青衣の女》1663年頃、油彩・カンヴァス、アムステルダム国立美術館所蔵
画像出典:Wikimedia Commons(原画像:アムステルダム国立美術館)/Public Domain

《青衣の女》の女性が読む手紙は、文面が見えず、誰からのものかも分かりません。アムステルダム国立美術館は、フェルメールが描いた手紙の場面を、女性たちが外の世界とつながる姿として紹介しています。

女性の背後の壁には、大きな地図が掛かっています。17世紀のオランダは地図づくりがさかんで、地図は航海や商売に使われるだけでなく、家の壁を飾るものでもありました。2022年にニューヨークのフリック・コレクションが刊行した研究書『Vermeer’s Maps』は、フェルメールの作品34点のうち9点に地図類が描かれていると数えています。

この絵の地図は、実在したホラント州と西フリースラントの地図で、同じ地図が《士官と笑う娘》や《恋文》にも描かれたと考えられています。ところが、1676年の家財目録に地図は見当たりません。フェルメールがこの地図を持っていたのかどうかは、分かっていません。

フェルメール《地理学者》。地図を広げた机の前で、器具を手に窓の外を見る男性と、戸棚の上の地球儀
引用テキスト:《地理学者》ヨハネス・フェルメール、1669年、シュテーデル美術館
画像出典:Wikimedia Commons/ライセンス:Public Domain

《地理学者》では、地図が仕事の道具になります。机に広げた大きな図、戸棚の上の地球儀、手にした製図用の器具。この人物のモデルを、同じ1632年にデルフトで生まれた顕微鏡研究者レーウェンフックとする説もあります。

けれども、二人の確かな接点として記録に残るのは、フェルメールの死後、レーウェンフックが一家の財産の管財人に任命されたことだけです。

フェルメール《恋文》。暗い手前の部屋の奥で、楽器を持った女主人が召使から手紙を受け取っている。壁には海の絵が掛かっている
《恋文》ヨハネス・フェルメール、1669〜70年頃、アムステルダム国立美術館
画像出典:Wikimedia Commons/ライセンス:Public Domain

音楽も、一つの意味には決められません。当時は裕福な家の若者が楽器を習い、男女がともに演奏することもありました。音楽は教養や楽しみのしるしであり、ときには恋の出会いの場にもなりました。

《恋文》では、楽器を手にした女主人が召使から手紙を受け取り、壁には海の絵が掛かっています。手紙と音楽と絵が重なるこの作品では、恋にまつわる読み方にも手がかりがありますが、手紙の中身までは分かりません。

手紙や地図、楽器を通して、外の世界が静かな部屋に入りこんでいることは確かです。とはいえ、フェルメールがオランダの交易や国の勢いを表すために地図を描いた、とまで言える記録はありません。

>>くり返し描かれた真珠、手紙、壁の地図。フェルメールが限られた小道具を組み替えつづけた理由を、作品を見比べながら読み解く

海の向こうから届いた物と材料|交易とフェルメールをどう結ぶ?

17世紀のオランダ共和国は、アジアやアメリカ大陸とも結ばれた、広い交易の網の中にありました。船は陶磁器や織物だけでなく、絵具の原料や、遠い土地の情報も運んできました。

交易の広がりの裏側には、植民地の支配や奴隷制もありました。共和国の豊かさと切り離すことのできない歴史です。ただ、今知られている資料からは、フェルメール本人がそこから直接利益を得ていたことは確かめられていません。静かな室内画から、交易や植民地についての主張を読みとれるわけでもありません。

また、物がどこから来たかということと、どんな道筋でフェルメールの手に渡ったかということは、別の話です。遠い土地でとれた原料や品物だからといって、オランダ東インド会社がフェルメールのために運んだとは言えません。顔料は何人もの商人の手を経て、ヨーロッパのいくつもの市場を通ってくることもありました。絵の中の品物の多くは、その経路を一つずつたどることができないのです。

国際交易で運ばれた顔料や陶磁器、織物、地図の情報が、家庭や画家の工房を経て作品に入るまでの流れを示した図。個々の品の経路を断定するものではないことも添えている

真珠も同じです。《真珠の耳飾りの少女》の大きな耳飾りを「東洋の天然真珠」「海外貿易の象徴」とする説明を見かけることがあります。けれども、この絵は特定の人物の肖像画ではなく、「トローニー」と呼ばれる、表情や衣装、光の効果を見せるための頭部の絵です。耳飾りは天然の真珠としては大きすぎ、所蔵するマウリッツハイス美術館は、ガラス製の模造品や、画家の想像による品である可能性を挙げています。材質は確かめられていません。

道筋は一つずつたどれなくても、海の向こうから届いた材料は、フェルメールの絵の中にあります。フェルメールは、ラピスラズリを砕いてつくる高価な「天然ウルトラマリン」を、ふんだんに使いました。原料の石は、現在のアフガニスタンのあたりから運ばれたものです。《真珠の耳飾りの少女》の青いターバンにも、質の高い天然ウルトラマリンが使われています。

プロテスタントの共和国、カトリックの家庭|宗教とフェルメール

オランダ共和国で公の立場にあったのは、プロテスタントの改革派教会でした。カトリックの人々は公の場での礼拝を制限され、外からはふつうの建物に見える「隠れ教会」などで信仰を守っていました。

フェルメールは、改革派の新教会で洗礼を受けています。ところが、1653年に結婚した妻の一家はカトリックで、夫妻はやがて、カトリックの修道会であるイエズス会の拠点のすぐ隣で暮らすようになりました。結婚前に改宗したと説明する美術館もあれば、「改宗したのかもしれない」と慎重に書く美術館もあります。

近年は、この隣のイエズス会を通じて、フェルメールが「カメラ・オブスクラ」(小さな穴から入る光で景色を映し出す装置)を知った可能性も指摘されています。ただ、装置を持っていた、使ったという当時の記録は見つかっていません。

>>700人が入れる隠れ教会を隣に、義母と大家族に囲まれて。
フェルメール一家が暮らしたカトリック地区の日々をたどる

フェルメール《信仰の寓意》。地球儀に足をのせた白い衣装の女性と、背後に掛かる十字架のキリストの絵、テーブルの上の聖杯と十字架
《信仰の寓意》ヨハネス・フェルメール、1670〜72年頃、メトロポリタン美術館
画像出典:Wikimedia Commons/ライセンス:Public Domain

カトリックとのつながりが作品にはっきり表れているのが、晩年の《信仰の寓意》です。「寓意」とは、目に見えない考えを、人の姿や物に置きかえて表すことです。白い衣装の女性がカトリックの信仰を表し、テーブルには聖杯や十字架、背後の壁には十字架にかけられたキリストの大きな絵が掛かっています。

メトロポリタン美術館によれば、この背後の絵は、フェルメールの手元にあったヤーコプ・ヨルダーンスの作品をもとにしたものです。1676年の家財目録にも、十字架のキリストの絵や聖ヴェロニカの絵が記されています。

もちろん、一枚の絵からフェルメールの信仰の深さまでは測れません。それでも、「プロテスタントの国だったから、フェルメールは宗教画を描かず、静かな室内画を描いた」という説明が成り立たないことは、この絵からも分かります。

1672年「災厄の年」|繁栄の時代は画家を守らなかった

主な室内画の多くを描き、画家や職人の組合である聖ルカ組合の役員も務めた1660年代。その足もとが大きく揺らいだのが、1672年でした。

この年、オランダ共和国はフランスとイングランド、さらに現在のドイツにあたるミュンスター司教とケルン大司教から、相次いで攻撃を受けました。共和国は国土の広い範囲をわざと水に沈め、デルフトのあるホラント州を守ろうとします。政治も大きく混乱し、オランダではこの年を「ランプヤール(災厄の年)」と呼んでいます。

1672年の戦争でオランダ共和国が失った町や要塞と、その年の出来事を一枚にまとめた17世紀の版画
《1672年のネーデルラントで起きた出来事》イサーク・ソリウス、アムステルダム国立美術館
画像出典:Wikimedia Commons/ライセンス:Public Domain

戦争の影響は、商売やお金の貸し借り、人々の暮らし向きにまで及び、絵の市場も大きく冷えこみました。夫の死後、妻カタリーナは借金の整理を願い出た書類の中で、フランスとの長い戦争のために夫は自分の絵をほとんど売れず、画商として仕入れたほかの画家の絵でも大きな損を出した、と述べています。

ただ、これは救済を求める立場から書かれた書類です。家計を苦しめたのは戦争だけではなく、大家族の暮らしや画商としての在庫など、いくつもの条件が重なっていたと考えられます。

1672年の戦争から、絵の市場の落ち込みを経てフェルメール家の家計が苦しくなるまでの流れと、大家族や画商の在庫など重なっていたほかの要因を示した図

1675年12月、フェルメールは43歳で亡くなりました。カタリーナはのちに、暮らしの苦しさを深く気に病んだ夫が、健康な状態からわずか一日半で亡くなったと述べています。ただ、病名や医学的な死因は分かっていません。

翌年には家財目録が作られ、カタリーナは借金の整理を進めます。パン屋への600ギルダーを超える支払いには、《ギターを弾く女》と《手紙を書く婦人と召使》の2点が担保として差し出されました。

記録から分かるのは、家計が急に苦しくなったのが1672年以降であり、借金の整理が始まったのは本人の死後だということです。

>>町じゅうの建物に被害を出した1654年の火薬庫の爆発と、家計を追いつめた1672年。二つの出来事が、デルフトとフェルメール家に残したものを読む

社会がフェルメールを作ったのではなく、フェルメールが社会を選び直した

17世紀のオランダには、市民が絵を買う大きな市場があり、家の中を描いた絵を楽しむ文化がありました。手紙や地図、楽器、書物が暮らしの中を行き交い、海の向こうからは高価な絵具の原料が届き、デルフトではプロテスタントとカトリックが隣り合って暮らしていました。フェルメールの絵に描かれた物や題材は、どれもこうした社会の中にあったものです。

けれども、同じ社会には数えきれないほどの画家がいました。そのなかでフェルメールは、多くの絵で人物を一人か二人にしぼり、小道具を選び、ときには一度描いたものを消しながら、光と空間を整えていきました。手紙の中身は明かされず、物語もはっきりとは語られません。

フェルメールの静かな部屋は、17世紀オランダ社会の単純な縮図ではありません。市場、家庭、手紙、地図、交易、宗教という同じ時代の材料を選び直し、余分なものを削り、光の中に置き直してできあがった世界でした。時代の背景を知ったうえで絵の前に立つと、描かれたものと同じくらい、描かれなかったものにも目が向くようになるかもしれません。

引用・参考元はこちら

◼️大学・美術館・コレクション

アムステルダム国立美術館「Vermeer exhibition text」
┗ https://www.rijksmuseum.nl/en/whats-on/exhibitions/past/vermeer/vermeer-exhibition-text
アムステルダム国立美術館「Rijksmuseum reveals major discoveries on Vermeer’s painting The Milkmaid」(2022年9月8日)
┗ https://www.rijksmuseum.nl/en/press/press-releases/rijksmuseum-reveals-major-discoveries-on-vermeer-s-painting-the-milkmaid
アムステルダム国立美術館「Nieuw licht op Vermeer en zijn katholieke omgeving」(2023年)
┗ https://www.rijksmuseum.nl/nl/pers/persberichten/nieuw-licht-op-vermeer-en-zijn-katholieke-omgeving
アムステルダム国立美術館「Revelatory new insights unveiled in new Vermeer biography」(2023年)
┗ https://www.rijksmuseum.nl/en/press/press-releases/revelatory-new-insights-unveiled-in-new-vermeer-biography
アムステルダム国立美術館「The Republic」
┗ https://www.rijksmuseum.nl/en/collection/node/The-Republic–2447420802fc4934bd9db55c8c6cc003
アムステルダム国立美術館「Regenten en de Waterlinie in het Rampjaar」
┗ https://www.rijksmuseum.nl/nl/collectie/publicatie/Regenten-en-de-Waterlinie-in-het-Rampjaar-hoe-de-Hollandse-Waterlinie-tot-stand-kwam–88d2f3a2f6d863bb007c2d64815c31ae
マウリッツハイス美術館「Girl with a Pearl Earring」
┗ https://www.mauritshuis.nl/en/our-collection/artworks/670-girl-with-a-pearl-earring
マウリッツハイス美術館「Closer to Vermeer and the Girl」
┗ https://www.mauritshuis.nl/en/press-releases/closer-to-vermeer-and-the-girl
マウリッツハイス美術館「Vraag en aanbod」
┗ https://www.mauritshuis.nl/ontdek-collectie/restauratie-en-onderzoek/dichter-bij-vermeer-en-het-meisje-met-de-parel/girl-with-a-blog/vraag-en-aanbod
メトロポリタン美術館「Allegory of the Catholic Faith」
┗ https://www.metmuseum.org/art/collection/search/437877
メトロポリタン美術館「Johannes Vermeer (1632–1675)」
┗ https://www.metmuseum.org/en/essays/johannes-vermeer-1632-1675
フリック・コレクション「Frick Publishes Book on Vermeer and Maps」(2022年9月21日)
┗ https://www.frick.org/press/frick_publishes_book_vermeer_maps
フリック・コレクション「Vermeer: provenance」
┗ https://stage.frick.org/sites/default/files/archivedsite/exhibitions/vermeer/provenance.htm
フリック・コレクション「The “Sphinx of Delft”: Rediscovering Vermeer at The Frick Collection」
┗ https://frick.org/sites/default/files/archivedsite/exhibitions/vermeer/quodbach.htm
ワシントン・ナショナル・ギャラリー「Vermeer and the Masters of Genre Painting: Inspiration and Rivalry」
┗ https://www.nga.gov/exhibitions/vermeer-and-masters-genre-painting-inspiration-and-rivalry
ライデン大学「Letters as loot」
┗ https://www.universiteitleiden.nl/en/research/research-projects/humanities/letters-as-loot.-towards-a-non-standard-view-on-the-history-of-dutch

◼️学術論文

Journal of Historians of Netherlandish Art「On Brabant Rubbish, Economic Competition, Artistic Rivalry, and the Growth of the Market for Paintings in the First Decades of the Seventeenth Century」
┗ https://jhna.org/articles/brabant-rubbish-economic-competition-artistic-rivalry-growth-market-paintings-first-decades-seventeenth-century/
Journal of Historians of Netherlandish Art「”Everywhere illustrious histories that are a dime a dozen”: The Mass Market for History Painting in Seventeenth-Century Amsterdam」(2015年)
┗ https://jhna.org/articles/everywhere-illustrious-histories-that-are-a-dime-a-dozen-mass-market-history-painting-seventeenth-century-amsterdam/

◼️専門サイト

Essential Vermeer「Inventory of Movable Goods of Vermeer’s Home at Oude Langendijk, Delft」
┗ https://www.essentialvermeer.com/inventory.html
Essential Vermeer「Vermeer’s Maps」
┗ https://www.essentialvermeer.com/maps/vermeers-maps.html
leeuwenhoek.net「Appointed curator of the estate of Catherine Bolnes, Vermeer’s widow」
┗ https://www.leeuwenhoek.net/content/appointed-curator-estate-catherine-bolnes-vermeers-widow
Aronson Antiquairs「City of Delft, seventeenth–eighteenth centuries」
┗ https://aronson.com/city-of-delft-seventeenth-eighteenth-centuries/

◼️報道・メディア

Museums Association「Amsterdam Museum drops term ‘Golden Age’」(2019年9月18日)
┗ https://www.museumsassociation.org/museums-journal/analysis/2019/09/18092019-amsterdam-museum-drops-term-golden-age/
DutchNews.nl「Amsterdam museum ditches ‘Golden Age’ in favour of inclusive ’17th century’」(2019年9月13日)
┗ https://www.dutchnews.nl/news/2019/09/amsterdam-museum-ditches-golden-age-in-favour-of-inclusive-17th-century/
DutchReview「The Amsterdam Museum drops “Golden Age”; Rijksmuseum will retain it」(2019年9月13日)
┗ https://dutchreview.com/culture/history/the-amsterdam-museum-drops-golden-age-rijksmuseum-will-retain-it/
Artnet News「Ever Noticed All the Mysterious Maps in Vermeer’s Paintings? Here’s What They Mean」(2022年9月18日)
┗ https://news.artnet.com/art-world/vermeers-maps-excerpt-2174599